「あんたはゴリラですか」
冒頭の一文でこの本の購入を決めました。ユーモアあふれる人が書いた文章術の本なら読みやすいだろうと考えたからです。読み進めていくと、よくある文章術の本ではなく、文章を書くことの本質を示しているような内容でした。
自分が読んで心が動かされた部分を紹介していきたいと思います。
筆者の紹介
筆者の田中泰延さんは、大企業で20数年間コピーライターとして勤務。在職中に頼まれて書いた映画評論がたくさんの人の目にふれることとなり、それをきっかけにさまざまな企業などから寄稿の依頼がくるようになって、退職してフリーライターになった。フリーライターになってからは、【青年失業家】と名乗り様々なWebサイトに寄稿していく。
ただ、自分の中で、やれといわれてもしたくないこと、やるなといわれてもしたいことがはっきりしたから、生き方を変えただけなのだ。
と、退職した理由が語られている。
会社員からフリーランスになる理由を素直に自分の言葉で表現した、カッコイイいいまわしだと思いました。
なんのために書くのか〜すべての文章は自分のために書く〜
著者が一貫して主張しているのが、「文章は自分のために書くこと」です。
「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」ということを伝えたい。
自分がおもしろくない文章を、他人が読んでおもしろいわけがない。だから、自分が読みたいものを書く。
というように、自分が読みたかったものを書き、書いた自分も楽しいという「読者としての文章術」を伝えてくれています。いい意味で自分が楽しむことを一番に考えろということではないかと思います。
よくブログの書き方である「だれをターゲットにして書くのか」、「SEOを意識したタイトルの書き方」などテクニックに関することよりまずは
自分がおもしろいと思えるものを書く、自分が読みたいものを書くことに注力しろと言われている。
なにを書くのか〜文章の種類〜
- 文書・・・「問題解決」「目的達成」のための書類→レポート、論文、メール企画書など
- 文章・・・書きたい人がいて、読みたい人がいる(かもしれない)→ブログ、コラム、書評など
ネット上の文章は、ほとんど随筆だといわれています。
「随筆」とはなにか。
「事象と心情が交わるところに生まれる文章」
- 事象・・・見聞きしたこと、知ったことー世の中のあらゆるモノ、コト、ヒト
- 心情・・・事象に触れて、心が動き、書きたくなる気持ちがうまれる。
人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。
事象と心情がそろってはじめて「随筆」が書かれるとあります。
書く文章の分野
- 事象中心・・・報道、ルポルタージュ→ジャーナリスト、研究者
- 心情中心・・・創作、フィクション→小説家、詩人
上記のどちらでもない随筆という分野で文章を綴り、読者の支持を得ることで生きていくのが一般的にライターと呼ばれます。次に紡いでいく言葉についてです。
定義をはっきりさせる
ここでは例として「趣味」ということばの意味について取り上げ、自分が使うことばの定義について再確認しようといわれています。
○趣味・・・手段が目的にすりかわったこと→倒錯であるといえる
単語ひとつひとつについて足場を固めていかないと、長い文章を書いたときにあいまいな言葉を積み重ねてしまうことになります。自分がつかう言葉は、こういう意味で使っているんだぞと言えるようにしておかないとなと思います。
定義をしっかり持てば、自分がいま、なにを書いているのかを忘れることはない。
ことばを疑うことから始める
その単語に自分がはっきりと感じる重みや実体があるか。わけもわからないまま誰かが使った単語を流用していないか。
自分自身がその言葉の実体を理解していなければ、他人に意味を伝達することは不可能でしょう。
だれに書くのか〜自分のため〜
ターゲットの想定はしなくていい
いろんな文章術の本に「ターゲットを想定しろ」「だれにむけて書いているのか明確に」とあります。
それよりも根本的に自分の気持ちに正直になれって言われいる気分になりました。
自分が書いた文章は、まず自分が読むので、自分が読んで面白くなければ書く意味がない。だからターゲットの想定はしなくていい。自分がおもしろいと思うものを書くべき。
だれかがもう書いているなら読み手でいよう
世の中にはいろんな文章が溢れているので、自分が読みたいものが見つかったらそれでいいのです。
自分が読みたいものが存在しないから、自分で書くしかないのです。
自分が読んでおもしろい文章とは、まだだれも読んでいない文章を自分で作るということ
わたしが言いたいことを書いている人がいない。じゃあ自分が書くしかない
他人の人生を生きてはいけない
書いた文章に満足かどうかは自分で決めればいい→しかし、評価は他人が決めるのでいちいち反応しない
どう書くのか
つまらない人間とは、自分の内面を語る人
眠いとか寒いとか自分の気持ちを言葉にする人の話は、その人に惚れていたりしないかぎり、聞いていてつまらないものです。少しでもおもしろく感じる人は、その人の外部にあることを語っていることが多い。
たしかにエピソードトークがうまくしゃべれる人はおもしろい人だという印象をうけます。
随筆という文章が、結局最後には心情を述べる著述形式であるため、まずは事象を提示して興味を持ってもらわなければなりません。その事象の強度を高めるために調べることに重きをおくべきだとあります。
物書きは調べるが9割9分5輪6毛
徹底的に調べ、事象を調べ尽くした先に見えてくるものがあります。それが自分が愛すべきポイントだと言われています。
人間が創造したものにはすべて文脈がある
(原型、下敷き、模倣、引用、比喩、無意識がある)
作品を構成している文脈=ファクト
ライターの仕事はまず調べることから始める。調べた9割を棄て、残った1割を書いた中の1割にやっと筆者はこう思うと書く
ライターの考えなど全体の1%以下でよいし、その1%以下を伝えるためにあとの99%以上が要る。
調べたことを並べれば、読む人が主役になれる文章になります。
感動が中心になければ書く意味がない
対象を愛する方法
- 資料を当たっていくうちにここは愛せるというポイントが見つかる
- ざっと見てここが愛せそうだと思ったポイントの資料を掘る。自論を強化するために良い材料をそろえる
そうやって自分が心を動かされたポイントをまとめていく。
そして、わたしが愛した部分を全力で伝えるという気持ちで書く必要があります。
それでも愛するべきポイントが見つからなかったときは、どこがどうおもしろくなかったのか、どうつまらなかったのかを書くしかありません。「つまらない」「わからない」ことも感動のひとつで深堀りすることで見える世界があり、批評として作り上げることがかできるとあります。批評を書くときも敬意だけは忘れてはいけません。
調べること=愛すること→自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために調べる
思考の過程を披露する
結論の重さは過程に支えれている
順を追って考え、順を追って書き記していくことが、自分自身の理解への道のりそのものであり、結果として人の気持ちを動かす文章となる
その思考の過程に相手が共感してくれるかどうかが長い文章を書く意味である
事象に出会い、心情を抱く。そこから仮設を立てたり、調べたり、考えたりでその時点での結論を出す。
そういった過程があるから結論に重みが生まれる。
自分のために文章を書くのが一番だが、人に共感をされる文章というのは自分の思考の過程が順を追ってかいてある文章だと思う。
自分が最も心を動かされた部分だけをピックアップして、あとは切り捨てる編集をするのは自然なこと
これだけは伝えようと思う話→トピックへの過程を示す→長い文章を書く意味
過不足がないと自分で思えたとき、それは他人が読んでも理解ができるものになる
起承転結でよい
- 起:実際の経験だという前置き
- 承:具体的になにがあったか
- 転:その意味はなにか。
- 結:感想と提言。ちょっとだけ
「事象に触れて論理展開し心象を述べる」という随筆に、起承転結ほど効率よく使えるものはないとあります。
基本の起承転結で文章をつくってみることが始まりかなと思います。
まとめ
- 自分のために書け、自分がおもしろいと思うものを書け。ただし評価は他人が下す。けど気にしないでいい。
- ネットの文章はほとんど随筆。随筆とは事象と心象が交わるときに生まれる文章。
- しっかりと調べよう。自分の心情はちょっとだけ。とにかく調べる。
- 愛と敬意をもって文章を作ろう。自分が感動した部分を伝える。
- 起承転結で書け。思考の過程を披露しろ
自分自身、まだまだ下手くそな文章しか書けないので、精進します。
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